久しぶりに精読した本を紹介させてください。
小説家 津村記久子氏の仕事論、仕事術についての対談をまとめた本です。

クリエイターの創作論はわたくしの大好物。仕事の話は家族の話と同じで、抽象化すればきわめて普遍的なトピックゆえ、まるで自分ごとのように己のキャリアを振り返りながら、読み進めることができました。

語り手と聞き手の津村記久子氏と島田潤一郎氏はそれぞれ1978年と1976年生まれのロスジェネ世代。おふたりの著作は未読なのですが、若い頃に摂取していた音楽や映画に懐かしいものが多かったのも、するすると読めた要因かもしれません。

とはいえ、おふたりが中高時代に聞いていたという音楽には知らないものが多く、インターネット普及前の都会と地方の情報格差なのか(田舎育ちの私はCDショップをハシゴするなど夢のまた夢でしたので)、はたまた音楽に対する己の探究心不足なのかは判断がつきませんでしたが。

自称「陽キャ」で読書とは無縁の若者時代を過ごしたわたくしは、「コンビニ人間」を読んだ時と同じような衝撃も受けました。陰キャと陽キャで人生の見え方がこんなに違うのか。こんなに生きづらい幼少期があるのか、と。ふいに忘却の彼方の小学生時代の己の心の傷をえぐられそうにもなりました。(過去のことはてんで覚えていないわたくしですが、たまに読書によって記憶の扉がパカッと開かれます)

さて、この対談の中で最も刺さったトピックは、あとがきにある「時間と自律性」についてのお話だったかもしれません。(自律性とは「自分の選択で物事をやれているか」だそうです)

津村氏はコスパやタイパを真っ向から批判し、「ギャンブルをしないと自分が好きなものには出会えません」と自らの経験から語ります。「ハズレを引いても時間はたくさんあるからいいや」と思える学生時代に多くの文学や映画と出会わねばならない、とのことでした。大学の通学時間が片道2時間あった津村氏は、その時期に小説を読みあさったそうです。

その話を読んで、情報過多の時代に生きる現代人は、時間に対しての“欠乏マインドセット”が過ぎるのかもしれぬ、と思いました。わたくしも見たい映画や読みたい本はたくさんあるのですが、ありすぎて「全ては摂取できない」という絶望感にたびたび襲われております。なにゆえこれほどまでに「時間がない、時間がない」と自分に呪いをかけてしまうのか。

先日「ゼロからの脚本術」という本を読んでおりましたら(これも創作論の本です)「映画やドラマは観るより書く方が断然面白い」と豪語する方がおりまして。若い頃から脚本家という職業に憧れがあったこともあり、「書いてみようかな」とほんの一瞬思いかけたのですが、次の瞬間にはできない理由が次から次へと浮かんで参りました。

知性が足りない
人生経験が足りない
メモがとれない
物語を練るだけの体力と根気がない・・・

そして思いました。「これって全部スマホ時間減らせばできることじゃね?」と。

さて皆様、津村氏の大学時代にスマホがあったなら、往復4時間の通学時間を読書だけに費やすことができたでしょうか?あの時代にサブスクの音楽配信があったなら、1枚2500円もするCDを買うギャンブルができたでしょうか?若い頃にスマホがなくてよかったと胸をなで下ろした経験は一度や二度ではありませんよね?

そうです。スマホをオフにする時間を増やせば、凡人がクリエイティブな作業に費やせる時間を持つことも不可能ではありません。ひとたびスマホを置いて外に出てみれば、さまざまな発見や思いも寄らぬ出会いが待っているかもしれないのです。なんでもかんでもスマホのせいにするつもりかとお叱りを受けそうですが、インターネット前夜を知る皆さんなら、あながち的外れな推論ではないことも充分ご存じのはず。

作家の朝井リョウさんが数年前のインタビューで執筆スタイルについて語っておられました。朝食後、午前中は立ったまま作業ができる喫茶店で2時間ほど執筆、昼食後も外出先で再び執筆しているそうで、外で書くときはケータイを自宅においたままにするそうです。ネット環境で集中力を保つことが年々難しくなっている、と嘆いてもおられました。

皆さんはスマホとどう距離を取っていますか?
ブログを書く時間はどのように捻出しているのでしょうか?
ぜひコメントで教えてくださいね!